明けましておめでとうございます。2
2012/01/07
150年前、神戸の港に、勝海舟が、神戸海軍操練所を開設、日本全国から多くの若者が集まった、その中に、坂本龍馬もいた。神戸海軍操練所の建設を勝海舟に頼まれた、咸臨丸の小頭実次郎が、塩飽から集めた船大工とともに建設し増した。その後、船大工たちは、操練所で、坂本龍馬たちと共に洋式帆船を、動かし、修理や、整備をして、直に洋式を覚えることとなる。翌年、神戸海軍操練所が閉鎖になったが、実次郎と船大工たちは、操練所を守り、慶応3年には、イギリス領事館が、解説し、神戸開港時の、ドックとして、働く事となる。ここで、西洋の生活を知った。船大工たちが、神戸の居留地や、街の洋風建築のお店や、住宅を建て,そして、洋家具を造る、家具屋が誕生する。それが、塩飽大工から生まれた、塩飽指物師である。
藤本木工所は、初代秀次郎が、塩飽工業補修学校の四期生で、大叔父が神戸で初めて洋家具工場を加納町で造った、真木徳助です。『日本の洋家具は、坂本龍馬らと共に、神戸海軍操練所で、生まれ育ちました。』
藤本木工所は、初代秀次郎が、塩飽工業補修学校の四期生で、大叔父が神戸で初めて洋家具工場を加納町で造った、真木徳助です。『日本の洋家具は、坂本龍馬らと共に、神戸海軍操練所で、生まれ育ちました。』